青函連絡船「八甲田丸」(青森県) [東北地方の旅]
青函連絡船「八甲田丸」
昭和63年(1988年)3月に運行を終了した青函連絡船、最後の運行を終了した青函連絡船「八甲田丸」は、青森港に博物館船・メモリアルシップとして第二岸壁に繋留された状態で展示されている。
青函連絡船は明治41年(1908年)に鉄道連絡船として運行が開始され青森港と函館港を結んでいたが、昭和63年(1988年)青函トンネルの開通により、80年間の歴史を閉じた。最後の運行は昭和63年3月13日、「羊蹄丸」が17時00分函館出航、「八甲田丸」は17時05分青森出航、20時55分それぞれ青森・函館着で青函連絡船すべての運行が終了した。
青函連絡船は歴代55隻、その中で「八甲田丸」は歴代最長の現役期間(23年7ヶ月)を誇る。
「八甲田丸」は昭和39年(1964年)三菱重工神戸造船所にて竣工、全長132.0m、全幅17.9m、総トン数5,382.65t、速力18.2kt、主機関は川崎MAN製ディーゼルエンジン(1600馬力)8基、旅客定員1,286名。
青函連絡船は鉄道連絡船であるので、鉄道車両を船内に格納して津軽海峡を横断、奥羽本線終点の青森駅と函館本線起点の函館駅を結ぶ。「八甲田丸」が繋留されている第二岸壁には線路と架道橋が保存されている。
「八甲田丸」船尾。
「八甲田丸」船内には鉄道車両も格納展示されている。
「DD16型」ディーゼル機関車と「キハ82」気動車。
主機関、川崎MAN製ディーゼルエンジン(1600馬力)。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
船上甲板には錆びた除雪機が・・青森ですからね。
青森県観光物産館「アスパム」の展望室から。
「八甲田丸」のシンボルである「八甲田山」。
「八甲田丸」付近地図
青森県観光物産館「アスパム」。
青森港、操舵輪のモニュメント。
(2020年10月中旬 撮影機材 Nikon Df )
昭和63年(1988年)3月に運行を終了した青函連絡船、最後の運行を終了した青函連絡船「八甲田丸」は、青森港に博物館船・メモリアルシップとして第二岸壁に繋留された状態で展示されている。
青函連絡船は明治41年(1908年)に鉄道連絡船として運行が開始され青森港と函館港を結んでいたが、昭和63年(1988年)青函トンネルの開通により、80年間の歴史を閉じた。最後の運行は昭和63年3月13日、「羊蹄丸」が17時00分函館出航、「八甲田丸」は17時05分青森出航、20時55分それぞれ青森・函館着で青函連絡船すべての運行が終了した。
青函連絡船は歴代55隻、その中で「八甲田丸」は歴代最長の現役期間(23年7ヶ月)を誇る。
「八甲田丸」は昭和39年(1964年)三菱重工神戸造船所にて竣工、全長132.0m、全幅17.9m、総トン数5,382.65t、速力18.2kt、主機関は川崎MAN製ディーゼルエンジン(1600馬力)8基、旅客定員1,286名。
青函連絡船は鉄道連絡船であるので、鉄道車両を船内に格納して津軽海峡を横断、奥羽本線終点の青森駅と函館本線起点の函館駅を結ぶ。「八甲田丸」が繋留されている第二岸壁には線路と架道橋が保存されている。
「八甲田丸」船尾。
「八甲田丸」船内には鉄道車両も格納展示されている。
「DD16型」ディーゼル機関車と「キハ82」気動車。
主機関、川崎MAN製ディーゼルエンジン(1600馬力)。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
船上甲板には錆びた除雪機が・・青森ですからね。
青森県観光物産館「アスパム」の展望室から。
「八甲田丸」のシンボルである「八甲田山」。
「八甲田丸」付近地図
青森県観光物産館「アスパム」。
青森港、操舵輪のモニュメント。
(2020年10月中旬 撮影機材 Nikon Df )
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