向島百花園(東京都)秋 [小さな旅(東京都)]
向島百花園 秋
東京都墨田区東向島にある都立庭園「向島百花園」、江戸時代に発祥をもつ花園である。開園は文化元年(1804年)、仙台出身の骨董商である佐原鞠塢(さはらきくう)によると云う。当初は梅の木が多く、梅園として営まれたが「梅は百花に魁けて咲く」ことから「百花園」と呼ばれるようになったらしい。
江戸時代には文人墨客のサロンとして利用され、園主や文人たちの構想で詩歌にゆかり深い草木類が数多く植えられたと云う。
向島百花園入り口。
入り口の塀に烏瓜(からすうり)。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
民営としての百花園の歴史は昭和13年(1938年)まで続き、同年10月に東京市に寄付、翌年には東京市が有料で制限公開を開始した。昭和20年(1945年)3月の東京大空襲で全焼となったが復興し、昭和53年(1978年)には文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けている。
園内の櫨紅葉(はぜもみじ)。
遊歩道の紅葉。
静かな池、水面に風景を写す。
墨田区押上にある東京スカイツリー。
逆光での撮影、秋の風情。
いつも帰りに立ち寄る草餅のお店「志”満ん草餅」。
草餅と栗どら焼きがお勧め、みたらし団子もたまに・・。
向島百花園付近地図
(2019年11月上旬 撮影機材 Nikon Df )
東京都墨田区東向島にある都立庭園「向島百花園」、江戸時代に発祥をもつ花園である。開園は文化元年(1804年)、仙台出身の骨董商である佐原鞠塢(さはらきくう)によると云う。当初は梅の木が多く、梅園として営まれたが「梅は百花に魁けて咲く」ことから「百花園」と呼ばれるようになったらしい。
江戸時代には文人墨客のサロンとして利用され、園主や文人たちの構想で詩歌にゆかり深い草木類が数多く植えられたと云う。
向島百花園入り口。
入り口の塀に烏瓜(からすうり)。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
民営としての百花園の歴史は昭和13年(1938年)まで続き、同年10月に東京市に寄付、翌年には東京市が有料で制限公開を開始した。昭和20年(1945年)3月の東京大空襲で全焼となったが復興し、昭和53年(1978年)には文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けている。
園内の櫨紅葉(はぜもみじ)。
遊歩道の紅葉。
静かな池、水面に風景を写す。
墨田区押上にある東京スカイツリー。
逆光での撮影、秋の風情。
いつも帰りに立ち寄る草餅のお店「志”満ん草餅」。
草餅と栗どら焼きがお勧め、みたらし団子もたまに・・。
向島百花園付近地図
(2019年11月上旬 撮影機材 Nikon Df )
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