鞆の浦(広島県)弁天島と仙酔島 [山陽地方の旅]
鞆の浦
広島県福山市にある「鞆の浦」は、江戸時代からの「常夜燈」や寺社・町家が今も残り、かつては「潮待ちの港」として栄えた町であると云う。坂本龍馬の海援隊と紀州藩に絡む「いろは丸事件」も、鞆の浦に関連する事件として、ここに歴史を刻んでいる。近年ではジブリ映画「崖の上のポニョ」の構想が練られた場所として知られる事になった。
弁天島
弁天島は鞆の浦にある小さな無人島。朱塗りの弁天堂(福寿堂)があることから「弁天島」と呼ばれるが、正式な名称は「百貫島」と云うらしい。
夜の弁天堂、右の灯りは弁天島の後ろにある「仙酔島」の宿の灯り。(Adobe Stock my portfolioに掲載)
弁天堂は、正保元年(1644年)に、鞆奉行・荻野新右衛門による再建と云う。
航行する船は「平成いろは丸」、鞆から仙酔島に向かう渡船。
「平成いろは丸」は、鞆の浦福山市営渡船場から乗船、仙酔島に渡る。乗船時間は約5分。
翌朝の「平成いろは丸」、7時前だから始発かな、仙酔島から来た。
撮影は宿のバルコニーから、宿泊先は「鞆の浦温泉・汀亭・遠音近音(おちこち)」
「山紫水明」の「仙酔島」
「山紫水明」という語の由来、江戸時代の学者「頼山陽」が、文化11年(1814年)に鞆の浦にあった仙酔島を望む建物を「対仙酔楼」と名付け、ここは「山紫水明の処」であると記したのが由来と云う・・諸説あるらしいが。
仙酔島の御膳山から弁天島を撮影。
仙酔島の海岸、遊歩道になっている。
仙酔島の浜には浦島太郎伝説があるらしい・・。
仙酔島をあとに、鞆の浦に向かう船から弁天島を撮影。
海辺には鳥居と石段。
鞆港で昼食がてら、常夜燈にお別れ。
弁天島付近地図
(2019年10月下旬 撮影機材 Nikon Df )
観た映画(Amazonの該当頁へ):ジブリ映画「崖の上のポニョ」
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「鞆の浦温泉・汀亭・遠音近音(おちこち)」
広島県福山市にある「鞆の浦」は、江戸時代からの「常夜燈」や寺社・町家が今も残り、かつては「潮待ちの港」として栄えた町であると云う。坂本龍馬の海援隊と紀州藩に絡む「いろは丸事件」も、鞆の浦に関連する事件として、ここに歴史を刻んでいる。近年ではジブリ映画「崖の上のポニョ」の構想が練られた場所として知られる事になった。
弁天島
弁天島は鞆の浦にある小さな無人島。朱塗りの弁天堂(福寿堂)があることから「弁天島」と呼ばれるが、正式な名称は「百貫島」と云うらしい。
夜の弁天堂、右の灯りは弁天島の後ろにある「仙酔島」の宿の灯り。(Adobe Stock my portfolioに掲載)
弁天堂は、正保元年(1644年)に、鞆奉行・荻野新右衛門による再建と云う。
航行する船は「平成いろは丸」、鞆から仙酔島に向かう渡船。
「平成いろは丸」は、鞆の浦福山市営渡船場から乗船、仙酔島に渡る。乗船時間は約5分。
翌朝の「平成いろは丸」、7時前だから始発かな、仙酔島から来た。
撮影は宿のバルコニーから、宿泊先は「鞆の浦温泉・汀亭・遠音近音(おちこち)」
「山紫水明」の「仙酔島」
「山紫水明」という語の由来、江戸時代の学者「頼山陽」が、文化11年(1814年)に鞆の浦にあった仙酔島を望む建物を「対仙酔楼」と名付け、ここは「山紫水明の処」であると記したのが由来と云う・・諸説あるらしいが。
仙酔島の御膳山から弁天島を撮影。
仙酔島の海岸、遊歩道になっている。
仙酔島の浜には浦島太郎伝説があるらしい・・。
仙酔島をあとに、鞆の浦に向かう船から弁天島を撮影。
海辺には鳥居と石段。
鞆港で昼食がてら、常夜燈にお別れ。
弁天島付近地図
(2019年10月下旬 撮影機材 Nikon Df )
観た映画(Amazonの該当頁へ):ジブリ映画「崖の上のポニョ」
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「鞆の浦温泉・汀亭・遠音近音(おちこち)」
コメント 0