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大阪城天守(大阪府) [日本の城]

大阪城天守
大坂城(大阪城)は豊臣秀吉が全国統一の本拠地を大坂と定め、摂津国東成郡生玉荘大坂に築かれた城である。天正11年(1583年)から築城が始まり、慶長3年(1598年)に完成。

現在の大阪城天守、昭和6年に構築された復興天守である。     (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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大坂城が築かれた地は天然の要害である。戦国時代には浄土真宗の石山本願寺があり、織田信長勢と戦ったが、天正8年(1580年)に講和、直後に石山本願寺は火災焼失した。信長亡き後は秀吉の領有となっている。

豊臣秀吉は慶長3年(1598年)に没しているが、秀吉が築いた大坂城は、元和元年(1615年)大坂夏の陣で豊臣家滅亡と共にすべて焼失してしまった。

大阪城の堀を遊覧する屋形船、屋根には豊臣家の「桐の紋」。
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元和6年(1620年)、徳川幕府は大坂城の再建にのり出し、10年の歳月と幕府の威信をかけて再建された大坂城は、全域にわたる大規模な盛土と石垣の積み上げ、堀の掘り下げが行われ、豊臣秀吉が築いた大坂城の遺構はほとんど埋没した。

徳川幕府により築かれた天守は寛文5年(1665年)に落雷で焼失し、昭和の御代になるまで再建はされなかった。昭和6年(1931年)に復興天守が郷土歴史館として竣工し、大阪城公園が開園した。
第二次世界大戦中には空襲で江戸時代に構築された櫓が多数被害を受け、戦後はゴジラによる破壊もあったが、平成の大改修もあり現在に至る。
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天守だけがポツンと建つ城は、どことなく寂しい・・。
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復興天守は、徳川大坂城の台座に鉄筋コンクリート造りて構築。
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4層までは徳川時代の白漆喰、5層目は豊臣時代の黒漆喰と、折衷型らしい。

季節はもうすぐ桜の時季、まだ三分咲きかな・・。
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大坂は幕府直轄地(天領)であり、大坂城の城主は徳川将軍家の歴代将軍自身であるが、城は大坂城代が預かり、入城したことがあるのは家光・家茂・慶喜のみであると云う。

「大坂」と「大阪」
江戸中期までは「大坂」、併用の時期もあり、明治以降は「大阪」が正式表記ということらしい。
本ブログでも適当に使い分けている。

大阪城付近地図


(2019年3月下旬 撮影機材 Nikon Df )
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