オルセー美術館(フランス) [フランスの旅]
オルセー美術館(Musée d'Orsay)
オルセー美術館は、パリにある19世紀美術専門の美術館、印象派の画家の作品が数多く収蔵されている。
オルセー美術館は、1900年のパリ万国博覧会開催のために建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであった建物を再活用したもので、開館は1986年と新しい。
今回のツアーに参加した目的の一つは、オルセー美術館見学である。日本でも印象派(特にモネ)の作品展が多く開催されていたので、それに触発されてオルセー美術館に行きたくなった次第・・妻が。
宿泊先のホテルがオペラ地区にあり、オルセー美術館は徒歩圏内である。ルーブル美術館前のチュイルリー庭園(Jardin des Tuileries)から、セーヌ河岸レオポール・セダール・サンゴール橋(Passerelle Léopold Sédar-Senghor)を渡ればオルセー美術館の入口に着く。
オルセー美術館入口前には「六大陸」(1878年)の彫刻が来館客を迎える。
「六大陸」はヨーロッパ、アジア、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ、オセアニアを象徴する女性の像で、作者はそれぞれ異なる。
オルセー美術館は、2月革命のあった1848年から第一次世界大戦が勃発した1914年までの作品の展示を原則としており、それ以前の作品はルーヴル美術館、以降の作品はジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センターという役割分担がなされているらしい。
美術館内部、中央には彫刻が並ぶ、広い。
鉄道の駅舎であったと云われれば、なるほどと思う。
ルーブルに比べると観光客も少なく、じっくり観賞できそう。
「テピダリウム(tepidarium)」(1853年)テオドール・シャセリオー作。
テオドール・シャセリオー(Théodore Chassériau)はロマン主義に属するフランスの画家。「テピダリウム」とは古代ローマの公衆浴場にあった微温浴室で、現在の浴場の休憩室ですかね。
「画家のアトリエ」(1855年)ギュスターヴ・クールベ作。
ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)はフランスの写実主義の画家。「画家のアトリエ」はクールベの代表作の一つである。この作品はパリ万博(1855年)への出展を目論むが落選のため、万博会場近くにて展示会を行った。これが、芸術界における史上初の個展となるらしい。
「落穂拾い(Des glaneuses)」(1857年)ジャン=フランソワ・ミレー作。
ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-François Millet)はフランスの画家。バルビゾン派の代表的画家の1人とされ、特に農民画で知られる。「落穂拾い」は農村の貧しい人々の姿を描いただけでなく、旧約聖書』の基づいた作品とのこと、バルビゾン派絵画の代表作と云われる。
「オランピア(Olympia)」(1863年)エドゥアール・マネ作。
エドゥアール・マネ(Édouard Manet,)は印象派の先駆者とされるフランスの画家。この作品はサロン・ド・パリ(官展)にて入選したが、現実の裸体の女性を主題としたことで批判を浴びた。「オランピア」とは当時のパリで娼婦の通称だった。
「笛を吹く少年(Le Joueur de fifre)」(1866年)エドゥアール・マネ作。
この作品はサロン・ド・パリ(官展)にて落選したらしい。伝統的な権威には評価されなかった。
オルセー美術館の外壁には時計が組み込まれている。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
時計の中心部は素通しでモンマルトルの丘が遠望できる。
「ダンス」(1863-1869年)ジャン=バティスト・カルポー作。
ジャン=バティスト・カルポー(Jean-Baptiste Carpeaux)はフランスの彫刻家。この作品はオペラ座の彫刻、そりゃ楽しいだろうと思われる情景。
「弓を射るヘラクレス(Hercules the Archer)」(1909年) アントワーヌ・ブールデル作。
アントワーヌ・ブールデル(Antoine Bourdelle)はフランスの彫刻家。「弓を射るヘラクレス」は箱根の彫刻の森美術館でも観た、国立西洋美術館にも展示されている。
オルセー美術館付近地図
ツアーはJALPAKの「東部フランスの田舎とパリを楽しむ8日間」。
(2017年9月中旬 撮影機材 Nikon Df、Nikon1 J5)
関連ブログ:ルーヴル美術館
オルセー美術館は、パリにある19世紀美術専門の美術館、印象派の画家の作品が数多く収蔵されている。
オルセー美術館は、1900年のパリ万国博覧会開催のために建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであった建物を再活用したもので、開館は1986年と新しい。
今回のツアーに参加した目的の一つは、オルセー美術館見学である。日本でも印象派(特にモネ)の作品展が多く開催されていたので、それに触発されてオルセー美術館に行きたくなった次第・・妻が。
宿泊先のホテルがオペラ地区にあり、オルセー美術館は徒歩圏内である。ルーブル美術館前のチュイルリー庭園(Jardin des Tuileries)から、セーヌ河岸レオポール・セダール・サンゴール橋(Passerelle Léopold Sédar-Senghor)を渡ればオルセー美術館の入口に着く。
オルセー美術館入口前には「六大陸」(1878年)の彫刻が来館客を迎える。
「六大陸」はヨーロッパ、アジア、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ、オセアニアを象徴する女性の像で、作者はそれぞれ異なる。
オルセー美術館は、2月革命のあった1848年から第一次世界大戦が勃発した1914年までの作品の展示を原則としており、それ以前の作品はルーヴル美術館、以降の作品はジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センターという役割分担がなされているらしい。
美術館内部、中央には彫刻が並ぶ、広い。
鉄道の駅舎であったと云われれば、なるほどと思う。
ルーブルに比べると観光客も少なく、じっくり観賞できそう。
「テピダリウム(tepidarium)」(1853年)テオドール・シャセリオー作。
テオドール・シャセリオー(Théodore Chassériau)はロマン主義に属するフランスの画家。「テピダリウム」とは古代ローマの公衆浴場にあった微温浴室で、現在の浴場の休憩室ですかね。
「画家のアトリエ」(1855年)ギュスターヴ・クールベ作。
ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)はフランスの写実主義の画家。「画家のアトリエ」はクールベの代表作の一つである。この作品はパリ万博(1855年)への出展を目論むが落選のため、万博会場近くにて展示会を行った。これが、芸術界における史上初の個展となるらしい。
「落穂拾い(Des glaneuses)」(1857年)ジャン=フランソワ・ミレー作。
ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-François Millet)はフランスの画家。バルビゾン派の代表的画家の1人とされ、特に農民画で知られる。「落穂拾い」は農村の貧しい人々の姿を描いただけでなく、旧約聖書』の基づいた作品とのこと、バルビゾン派絵画の代表作と云われる。
「オランピア(Olympia)」(1863年)エドゥアール・マネ作。
エドゥアール・マネ(Édouard Manet,)は印象派の先駆者とされるフランスの画家。この作品はサロン・ド・パリ(官展)にて入選したが、現実の裸体の女性を主題としたことで批判を浴びた。「オランピア」とは当時のパリで娼婦の通称だった。
「笛を吹く少年(Le Joueur de fifre)」(1866年)エドゥアール・マネ作。
この作品はサロン・ド・パリ(官展)にて落選したらしい。伝統的な権威には評価されなかった。
オルセー美術館の外壁には時計が組み込まれている。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
時計の中心部は素通しでモンマルトルの丘が遠望できる。
「ダンス」(1863-1869年)ジャン=バティスト・カルポー作。
ジャン=バティスト・カルポー(Jean-Baptiste Carpeaux)はフランスの彫刻家。この作品はオペラ座の彫刻、そりゃ楽しいだろうと思われる情景。
「弓を射るヘラクレス(Hercules the Archer)」(1909年) アントワーヌ・ブールデル作。
アントワーヌ・ブールデル(Antoine Bourdelle)はフランスの彫刻家。「弓を射るヘラクレス」は箱根の彫刻の森美術館でも観た、国立西洋美術館にも展示されている。
オルセー美術館付近地図
ツアーはJALPAKの「東部フランスの田舎とパリを楽しむ8日間」。
(2017年9月中旬 撮影機材 Nikon Df、Nikon1 J5)
関連ブログ:ルーヴル美術館
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