太陽の塔(大阪府)晴れた日に [近畿地方の旅]
万博記念公園 太陽の塔
昭和45年(1970年)に大阪で開催された日本万国博覧会、そのシンボルとして制作された「太陽の塔」、万博終了後半世紀を経た今も万博記念公園にそびえている。
2017年3月撮影、内部公開に向けた耐震補強・内部復元工事が行われている。
当時、京都・奈良に修学旅行に行く中高生は、多くの学校で修学旅行の日程に大阪万博見学が組まれた。残念ながら修学旅行に行く年度でなかったので大阪万博には行けず、想いが残った。
同年代の妻も観たことがないというので、大阪に二人で修学旅行へ・・。以前、仕事の途中に寄ったときには雨の降りそうな曇り空であったが、今回は晴れた日に訪れることができた。
「太陽の塔」は三つの顔を持ち、未来、現在、過去を象徴するとのこと。
「黄金の顔」は未来を象徴。
「太陽の顔」は現在を象徴。
「黒い太陽」は塔の背面、過去を象徴。
「太陽の塔」は大阪万博のテーマである「人類の進歩と調和」を表すテーマ館の一部であり、岡本太郎が制作した。万博終了後半世紀を経て、2018年3月に内部公開が再開、塔の内部は「生命の樹」が進化の過程をあらわし、行方不明である第4の顔である「地底の太陽」も復元されているらしい。
2020年8月には登録有形文化財に登録された。
「太陽の塔」付近地図
(2017年3月上旬 撮影機材 Nikon Df )
昭和45年(1970年)に大阪で開催された日本万国博覧会、そのシンボルとして制作された「太陽の塔」、万博終了後半世紀を経た今も万博記念公園にそびえている。
2017年3月撮影、内部公開に向けた耐震補強・内部復元工事が行われている。
当時、京都・奈良に修学旅行に行く中高生は、多くの学校で修学旅行の日程に大阪万博見学が組まれた。残念ながら修学旅行に行く年度でなかったので大阪万博には行けず、想いが残った。
同年代の妻も観たことがないというので、大阪に二人で修学旅行へ・・。以前、仕事の途中に寄ったときには雨の降りそうな曇り空であったが、今回は晴れた日に訪れることができた。
「太陽の塔」は三つの顔を持ち、未来、現在、過去を象徴するとのこと。
「黄金の顔」は未来を象徴。
「太陽の顔」は現在を象徴。
「黒い太陽」は塔の背面、過去を象徴。
「太陽の塔」は大阪万博のテーマである「人類の進歩と調和」を表すテーマ館の一部であり、岡本太郎が制作した。万博終了後半世紀を経て、2018年3月に内部公開が再開、塔の内部は「生命の樹」が進化の過程をあらわし、行方不明である第4の顔である「地底の太陽」も復元されているらしい。
2020年8月には登録有形文化財に登録された。
「太陽の塔」付近地図
(2017年3月上旬 撮影機材 Nikon Df )
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