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東大寺・大仏殿の仏像(奈良県)盧舎那大仏 [近畿地方の旅]

東大寺・大仏殿の仏像
東大寺は、天平13年(741年)国家の安寧と隆昌を祈願し、聖武天皇により日本六十余州に国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられた折、この全国に建立された国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。本尊は盧舎那大仏、華厳宗大本山、正式名称は「金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)」と云う。

大仏殿は天平勝宝4年(752年)に開眼供養の後、治承4年(1180年)兵火で焼失、建久6年(1195年)には再建されたが、永禄10年(1567年)再び兵火により炎上した。その後しばらく再建されず、大仏は露座であったが、宝永6年(1709年)に再建された。

大仏殿(金堂)には本尊の盧舎那大仏はもとより、大仏の脇侍(きょうじ)である如意輪観音・虚空蔵菩薩、仏教を守護する四天王の仏像が置かれている。

盧舎那大仏
聖武天皇は河内国知識寺に詣でた折、華厳経の教えを所依とし民間のちからで盧舎那仏が造立され信仰されている姿を見て、盧舎那大仏造立を強く願われ、天平15年(743年)「大仏造顕の詔」が発せられた。

盧舎那大仏造立にあたっては「華厳経」の教理と巨大な仏像の鋳造方法や相好などが研究されて、紫香楽宮(聖武天皇離宮)の近く甲賀寺にて建造が始められたが、山火事など不穏な出来事が続き中止、天平17年(745年)から金鍾山寺の寺地(現在の東大寺)で建造が再開された。完成は天平勝宝4年(752年)、大仏開眼供養会が盛大に厳修された。

東大寺盧舎那大仏、国宝である。
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盧舎那仏は、釈迦如来の別名、左手で宇宙の智慧を、右手に慈悲をあらわしながら、人々が思いやりの心でつながり、絆を深めることを願っておられるらしい。
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如意輪観音・虚空蔵菩薩
大仏の脇侍は、左脇侍が如意輪観音、右脇侍が虚空蔵菩薩である。

聖武天皇が発した「盧舎那仏造立の詔」には大仏の脇侍についての言及はなく、当初の脇侍像の造立や形態の詳細は不明らしい。脇侍像の再興は、永禄10年(1567年)の兵火の後、江戸中期に入ってからである。

左脇侍の如意輪観音坐像。
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享保15年(1730年)造立、重要文化財。

右脇侍の虚空蔵菩薩坐像。
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宝暦2年(1752年)造立、重要文化財。

東大寺付近地図地図


近隣には「興福寺」「春日大社」があり、観光に便利なように、近くに宿泊。
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宿泊先は「関西の迎賓館」とも云われる「奈良ホテル」

(2016年6月中旬 撮影機材 Nikon Df )
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「奈良ホテル」
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