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東大寺・鐘楼と大仏殿(奈良県) [近畿地方の旅]

東大寺・鐘楼と大仏殿
神亀五年(728年)聖武天皇は幼くして亡くなった皇子の菩提を追修するため、若草山麓に金鍾山寺を建立した。天平13年(741年)国家の安寧と隆昌を祈願し、聖武天皇により日本六十余州に国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、この金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となった。この大和金光明寺が東大寺の前身寺院であり、全国に建立された国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。

東大寺は盧舎那大仏を本尊とし、華厳宗大本山、正式名称は「金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)」と云う。天平勝宝四年(752年)に「大仏開眼供養会」が行われているが、講堂・東西両塔などの諸堂の造営は延暦八年(789年)3月の造東大寺司の廃止まで続行された。

鐘楼
鐘楼は創建後、治承4年(1180年)の兵火で焼失、鎌倉時代に再建された。吊られている梵鐘は大仏開眼と同じく天平勝宝4年(752年)の物で国宝である。
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大仏殿(金堂)
大仏殿は天平勝宝4年(752年)に開眼供養の後、治承4年(1180年)兵火で焼失、建久6年(1195年)には再建されたが、永禄10年(1567年)再び兵火により炎上した。その後しばらく再建されず、大仏は露座であったが、宝永6年(1709年)に再建された。国宝。
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大仏殿(金堂)は創建当時と比較して約4分の3の規模だが、木造建築物としては世界最大らしい。

七重塔相輪
東大寺にはかつて、東塔と西塔と云う日本最大級の七重塔があった。しかし平安中期に西塔を焼失、治承4年(1180年)には東塔も兵火で焼失した。その後、鎌倉時代に東塔を再建したが、再び落雷で焼失したらしい。昭和45年(1970年)の大阪万博で七重塔のレプリカが建てられ、塔は万博終了後に解体されたが、相輪は東大寺に寄贈され、大仏殿を見つめている。
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大仏殿の隣に立つレプリカの相輪、高さは23mとのこと。現在、日本では現存する七重塔はない。

大仏殿や鐘楼・東塔などを焼失させた治承の兵火とは、治承4年(1180年)に始まる「治承・寿永の乱」
である。後白河法皇の皇子以仁王の挙兵を契機とする、平氏政権に対する各地の反乱であり、俗に云う「源平の戦い」となり、鎌倉幕府の樹立という結果に至る。

梅雨の晴れ間の昼下がり、鹿もお昼寝中?
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東大寺は平成10年(1998年)に古都奈良の文化財の一部として世界遺産に登録された。

東大寺付近地図地図


近隣には「興福寺」「春日大社」があり、観光に便利なように、近くに宿泊。
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宿泊先は「関西の迎賓館」とも云われる「奈良ホテル」

(2016年6月中旬 撮影機材 Nikon Df )
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「奈良ホテル」
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