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坂東三十三観音十二番札所(華林山慈恩寺)「慈恩寺観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音十二番札所(華林山慈恩寺)「慈恩寺観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の十二番札所は華林山慈恩寺、埼玉県さいたま市岩槻区にある慈恩寺観音である。寺伝によれば天長元年(824年)慈覚大師の草創という。大師が関東巡錫の折、日光山の頂から仏法弘通の霊地あらば示し給えと「季(スモモ)」の実を虚空に投ずると、この地に落ち華を咲かせたので、千手観音像を刻み、一宇を建立したと云う。

本堂は天保14年(1843年)に再建されたとのことであるが、訪問した平成27年秋には改修中であった。
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本尊は千手観世音菩薩、古の本尊は焼失し、現在は寛永11年に天海僧正が治めた本尊を祀っている。

この寺には西遊記で有名な玄奘三蔵の霊骨が奉安されている「玄奘塔」がある。
玄奘三蔵の遺骨は昭和17年(1942年)12月に日本軍が南京で発見、分骨され日本に持ち込まれた。慈恩寺は三蔵法師ゆかりの長安の大慈恩寺からその名をとっている事もあり、戦後この寺に奉安されることとなったらしい。玄奘三蔵の霊骨が日本にあるとは、知らなかった・・。

御朱印
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詠歌「慈恩寺へ 詣る我が身も たのもしや うかぶ夏島を 見るにつけても」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

華林山慈恩寺付近地図


今回は坂東十番札所の岩殿観音から、九番慈光寺を巡り、休暇村奥武蔵に一泊、さらに十一番吉見観音、十二番慈恩寺と武蔵国を巡礼した。

(2015年11月下旬 撮影機材 Nikon Df )
参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
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