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坂東三十三観音九番札所(都幾山慈光寺) [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音九番札所(都幾山慈光寺)
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の九番札所は都幾山慈光寺、埼玉県比企郡ときがわ町にある天台宗の寺院である。寺伝によれば天武の朝、白鳳2年(673年)慈光老翁が僧慈訓に命じて千手観音像を刻ませ、本尊として祀ったのが、この寺の始まりと云う。役ノ行者が修験の道場としたとも云われ、古くから山岳寺院であった。延暦2年(783年)に伝教大師(最澄)により天台密教の教旨が当山に弘通され、平安時代には清和天皇が慈光寺を勅願寺と定めた。鎌倉時代になると「何の頃よりか台・密・禅の三宗を兼学する」関東に重きをなす寺院であったらしい。                          (都幾山慈光寺山門)
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山門前、南天は難を転ずる。
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都幾山慈光寺は阿弥陀堂を本堂とする。山門入るとすぐが本堂、観音堂までは山を数分歩く。

慈光寺観音堂。
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現在の本尊は鎌倉時代の作と云われる十一面千手千眼観世音菩薩である。

観音堂の手水舎。                       (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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観音堂を奥から撮影。
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慈光寺を去るときは猫がお見送りをしてくれた。
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お姿を変えた観音様かも知れないので、合掌・・。

御朱印
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詠歌「聞くからに 大慈大悲の 慈光寺 誓いも共に 深きいわどの」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

都幾山慈光寺付近地図


今回は坂東十番札所の岩殿観音から、九番慈光寺を巡り、休暇村奥武蔵に一泊、さらに十一番吉見観音、十二番慈恩寺と武蔵国を巡礼した。

(2015年11月中旬 撮影機材 Nikon Df )
参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
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