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坂東三十三観音四番札所(海光山長谷寺)「長谷観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音四番札所(海光山長谷寺)「長谷観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の四番札所は海光山長谷寺、神奈川県鎌倉市にある「長谷観音」である。寺伝によれば天平8年(736年)長さ三丈三寸の観音像が三浦半島の長井の浜に着き、それを徳道上人を開山と仰いで藤原房前が奉安したのが草創の伝である。長谷寺という名前の寺のほとんどが大和長谷寺信仰の系列に入るが、この鎌倉長谷寺の本尊は大和の観音像と「同木(一本の楠)」であるとされている。

養老5年(721年)大和にて観音像が同木で二体造られ、一体は大和長谷寺の本尊に、もう一体は洪水で流され15年後に三浦半島に漂着、鎌倉長谷寺の本尊になったという伝である。実際には寺の創建年代や本尊の造立時期は不明であり、「吾妻鏡」にも記載がないらしい。

鐘楼、現在の梵鐘は昭和59年(1984年)新鋳。         (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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かつての梵鐘は文永元年(1264年)鋳造の銘を持つ重要文化財。宝物館にて展示。

経蔵、堂内に回転式書架「輪蔵」がある。
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書架には一切経(大蔵経)が収められており、書架を一回転させることで一切経を読誦(どくじゅ)した功徳が得られるという。

境内の坂の途中にある「良縁地蔵」、微笑ましい。
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御朱印
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詠歌「長谷寺へ まいりて沖を ながむれば 由井のみぎわに 立つは白波」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

鎌倉近辺には一番札所から四番札所まである。発願の一番札所は別として、二番札所から四番札所は車にて巡礼した。

(2015年3月中旬 撮影機材 Nikon D5100、Apple iPhone 5s)

長谷寺付近地図


四番札所の長谷寺は四季を通じて花が絶えない古刹であるが、梅雨時は眺望散策路に紫陽花が織り成し、鎌倉でも有数の景勝地となる。

眺望散策路にある十一面千手観音像。(2019年6月 撮影機材 Nikon Df )  (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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長谷観音本尊は撮影禁止だけど、ここは撮影可、ありがたく撮影させていただいた。

参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
関連ブログ:「鎌倉 長谷寺」
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