姫路城(兵庫県)平成の修理中 [近畿地方の旅]
姫路城 平成の修理中
姫路城は兵庫県姫路市の姫山の地に立つ。姫山に初めて砦が築かれたのは元弘3年(1333年)赤松氏による、その後本格的な城が築かれ、応仁の乱を経て、戦国時代には羽柴秀吉の城となり三層の天守を築く。関ヶ原の戦の後、池田輝政が姫路城主となり城の大改築を始める。赤松氏から13氏48代が城主を務めたが、城は戦塵にまみえることなく今日に至っている。昭和31年(1956年)より昭和の大修理、平成21年(2009年)より平成の修理が着工された、記事内の写真は平成24年(2012年)大天守保存修理中に撮影したものである。平成の修理は平成27年(2015年)に終了した。
姫路城は五層七階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守を持つ。現在の大天守は慶長14年(1609年)に建てられたものである。現存12天守の一つであり、国宝5天守の一つである。
姫路城は愛称「白鷺城」、国宝であり、日本初の世界文化遺産である。
「大手門」から入城。
工事中の大天守を広場から眺める。
天守への道すがら、蔵の中に甲冑が展示されていたので撮影。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
「お菊井戸」を発見。ここらを上山里曲輪というらしい。
「番町皿屋敷」ならぬ「播州皿屋敷」の伝説、お菊が投げ込まれたとされる井戸が残る。
工事中の大天守から「西の丸」を望む。
天守を降り「西の丸」に向かう、「にの門」をくぐる。
「はの門」を抜けて天守を望む、ここは多くのドラマや映画で撮影場所として使われている。
「西の丸」内「ヌの櫓」付近。
建物や塀に使われている軒丸瓦には、その瓦を作った時の城主の家紋が意匠に使用されている。
この家紋は「剣片喰(けんかたばみ)」、寛延から明治まで城を治めた酒井家の家紋。我が家の家紋が「丸に剣片喰」、酒井家とは関係ないけど・・。
姫路城付近地図
(2012年2月上旬 撮影機材 Nikon D5000)
姫路城は兵庫県姫路市の姫山の地に立つ。姫山に初めて砦が築かれたのは元弘3年(1333年)赤松氏による、その後本格的な城が築かれ、応仁の乱を経て、戦国時代には羽柴秀吉の城となり三層の天守を築く。関ヶ原の戦の後、池田輝政が姫路城主となり城の大改築を始める。赤松氏から13氏48代が城主を務めたが、城は戦塵にまみえることなく今日に至っている。昭和31年(1956年)より昭和の大修理、平成21年(2009年)より平成の修理が着工された、記事内の写真は平成24年(2012年)大天守保存修理中に撮影したものである。平成の修理は平成27年(2015年)に終了した。
姫路城は五層七階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守を持つ。現在の大天守は慶長14年(1609年)に建てられたものである。現存12天守の一つであり、国宝5天守の一つである。
姫路城は愛称「白鷺城」、国宝であり、日本初の世界文化遺産である。
「大手門」から入城。
工事中の大天守を広場から眺める。
天守への道すがら、蔵の中に甲冑が展示されていたので撮影。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
「お菊井戸」を発見。ここらを上山里曲輪というらしい。
「番町皿屋敷」ならぬ「播州皿屋敷」の伝説、お菊が投げ込まれたとされる井戸が残る。
工事中の大天守から「西の丸」を望む。
天守を降り「西の丸」に向かう、「にの門」をくぐる。
「はの門」を抜けて天守を望む、ここは多くのドラマや映画で撮影場所として使われている。
(c)ike-yanma - 画像素材 PIXTA -
「西の丸」内「ヌの櫓」付近。
建物や塀に使われている軒丸瓦には、その瓦を作った時の城主の家紋が意匠に使用されている。
この家紋は「剣片喰(けんかたばみ)」、寛延から明治まで城を治めた酒井家の家紋。我が家の家紋が「丸に剣片喰」、酒井家とは関係ないけど・・。
姫路城付近地図
(2012年2月上旬 撮影機材 Nikon D5000)
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