那覇空港(沖縄県) [沖縄の旅]
那覇空港
沖縄県の入り口である那覇空港。日本トランスオーシャン航空、琉球エアコミューターが拠点とし、日本航空、全日空等も乗り入れている国際空港である。また、自衛隊の施設が併設されており民間機と自衛隊機が共同で使用する空港となっている。滑走路は3,000mが一本である。
前身は昭和8年(1933年)に建設された旧海軍の軍用飛行場(小禄飛行場)、昭和11年(1936年)には那覇飛行場として軍民共用飛行場になったらしい。昭和20年(1945年)敗戦で米軍管轄となったが、昭和47年(1972年)沖縄返還に伴い日本に返還された。
空から見た那覇空港。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
駐機場、冬なのに日差しが強い。
ゆいレールの駅に向かう途中に見下ろせる空港エントランス。
最初に沖縄を訪問したのは返還から10年後、こんなに立派な空港ではなかった・・光陰矢の如し。
着陸するJAL機、ボーイング777-200。
自衛隊と共用使用なので、琉球エアコミューター機、JAL機、海上自衛隊機が一堂に会する。
海上自衛隊機はP-3C対戦哨戒機、「RAC」マークは琉球エアコミューター機。
琉球エアコミューター機はボンバルディアDHC-8-Q100、この機種は2017年に退役している。
那覇空港付近地図
(2011年2月〜9月 撮影機材 Nikon D5000)
沖縄県の入り口である那覇空港。日本トランスオーシャン航空、琉球エアコミューターが拠点とし、日本航空、全日空等も乗り入れている国際空港である。また、自衛隊の施設が併設されており民間機と自衛隊機が共同で使用する空港となっている。滑走路は3,000mが一本である。
前身は昭和8年(1933年)に建設された旧海軍の軍用飛行場(小禄飛行場)、昭和11年(1936年)には那覇飛行場として軍民共用飛行場になったらしい。昭和20年(1945年)敗戦で米軍管轄となったが、昭和47年(1972年)沖縄返還に伴い日本に返還された。
空から見た那覇空港。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
駐機場、冬なのに日差しが強い。
ゆいレールの駅に向かう途中に見下ろせる空港エントランス。
最初に沖縄を訪問したのは返還から10年後、こんなに立派な空港ではなかった・・光陰矢の如し。
着陸するJAL機、ボーイング777-200。
自衛隊と共用使用なので、琉球エアコミューター機、JAL機、海上自衛隊機が一堂に会する。
海上自衛隊機はP-3C対戦哨戒機、「RAC」マークは琉球エアコミューター機。
琉球エアコミューター機はボンバルディアDHC-8-Q100、この機種は2017年に退役している。
那覇空港付近地図
(2011年2月〜9月 撮影機材 Nikon D5000)
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