弘前城(青森県) [日本の城]
弘前城 夏
青森県弘前市にある弘前城、弘前藩津軽氏4万7千石の居城として江戸時代に建てられた。最初の天守は慶長16年(1611年)に五重天守として建てられたが、寛永4年(1627年)に鯱鉾に落雷して出火、火災の熱で真っ赤になった吊鐘が地下の火薬庫に焼け落ち、火薬に引火、大爆発を起こして天守焼失との伝。
弘前城はその後200年近く天守なしであったが、ロシアへの海防問題(海への眺望を確保する必要)等を理由として幕府に櫓の移築という名目で願いを出し、許可を得て三層の櫓を文化8年(1811年)に建てた。往時は幕府への配慮から天守ではなく櫓として扱われていたが、「事実上の天守」として現在に至る。
現存十二天守の一つであり、東北で唯一の現存天守である。重要文化財。
弘前城の正面玄関、三の丸追手門。二層の櫓門にて戦国時代の古い形式。重要文化財。
二の丸東門付近から望む、弘前城天守(往時は御三階櫓)。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
木々は桜なので、開花時期にはいい写真が撮れそうな場所。人でいっぱいかな。
下乗橋からの弘前城天守。よく見る構図。
「たか丸」くんが弘前城のマスコットキャラクターらしい。別名・鷹岡城(高岡城)だもんね。
天守からの眺望、岩木山が美しい。
海は遠すぎますよね、幕府がよく移築(実際は築城)を許可したなと。
本丸跡付近からの天守。
2015年に石垣の老朽化による改修工事が始まり、天守は曳屋が行われ仮天守台に移動されている。改修工事は2023年までの予定。写真は2010年に撮影、移動前の天守である。
弘前城付近地図
(2010年6月上旬 撮影機材 Nikon D80)
青森県弘前市にある弘前城、弘前藩津軽氏4万7千石の居城として江戸時代に建てられた。最初の天守は慶長16年(1611年)に五重天守として建てられたが、寛永4年(1627年)に鯱鉾に落雷して出火、火災の熱で真っ赤になった吊鐘が地下の火薬庫に焼け落ち、火薬に引火、大爆発を起こして天守焼失との伝。
弘前城はその後200年近く天守なしであったが、ロシアへの海防問題(海への眺望を確保する必要)等を理由として幕府に櫓の移築という名目で願いを出し、許可を得て三層の櫓を文化8年(1811年)に建てた。往時は幕府への配慮から天守ではなく櫓として扱われていたが、「事実上の天守」として現在に至る。
現存十二天守の一つであり、東北で唯一の現存天守である。重要文化財。
弘前城の正面玄関、三の丸追手門。二層の櫓門にて戦国時代の古い形式。重要文化財。
二の丸東門付近から望む、弘前城天守(往時は御三階櫓)。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
木々は桜なので、開花時期にはいい写真が撮れそうな場所。人でいっぱいかな。
下乗橋からの弘前城天守。よく見る構図。
(c)ike-yanma - 画像素材 PIXTA -
「たか丸」くんが弘前城のマスコットキャラクターらしい。別名・鷹岡城(高岡城)だもんね。
天守からの眺望、岩木山が美しい。
海は遠すぎますよね、幕府がよく移築(実際は築城)を許可したなと。
本丸跡付近からの天守。
2015年に石垣の老朽化による改修工事が始まり、天守は曳屋が行われ仮天守台に移動されている。改修工事は2023年までの予定。写真は2010年に撮影、移動前の天守である。
弘前城付近地図
(2010年6月上旬 撮影機材 Nikon D80)
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